2 黄帝内経の「心」を知る
2016 北京中医薬大学教授
~個人の備忘録 講座記録~
心の概念
心は「君主之官」と言われる。主宰(人々の上に立ち、中心になって物事を行う人)であり、意識、思惟(思考)、行為(行動)、情感をつかさどる。
西洋医学での「心」の概念
胸の左側にある。ポンプ(水泵shuǐbèng)、血をくみ上げる、全身に血を巡らす。
心臓には弁膜がある。血液が回流できないような作用→血は一方向に流れる。
血が心臓を流れ出る時、栄養物質や酸素を全身の各臓腑組織に運ぶ。栄養と潤い。
血が戻ってくるとき、血液中の老廃物や二酸化炭素を排泄機関へ運び、体外へ出す。これが血液の浄化である、西洋医学の心の主な理解である。
中医学での「心」概念
心と意識の関係
中医学では、特に黄帝内経では、上述の心臓の役割の他にもう一つあり、心は意識をつかさどっている。
原文:心主管我们的神志(主管とはmanage, be in charge of )
「心眼儿多」「有心眼儿」という言葉をよく使うが、これは、头脑灵活/思维灵活(頭が切れる)、干什么事活泛(何事にも機転が利く)と言う意味である。
「死心眼儿」「缺心眼儿」は、一根筋(融通が利かない)、死性(融通が利かない)という意味である。実際、これらのことは中医学の「心」と密接な関係がある。
心の穴 = 知覚、意識(神志)
ある故事についてお話しするが、 「一窍不通」という言葉がある。
一窍不通(yī qiào bù tōng) 無知、ちんぷんかんぷん、全く分からない
先ほどの眼儿は洞(穴)の意味である。心には洞(穴)、窍(穴)があると言われている。
商の時代、商の紂王(zhòu wang)は妃の妲己(dá jǐ)を非常に愛していた。紂王は一日中仕事をせずに妲己と遊興にふけっていた(寻欢作乐)。また、無実の人々を殺していた。(滥杀无辜 làn shā wú gū)忠臣までも殺した。
紂王の叔父比干がこのような状況を見過ごせなくなり、「いつも酒と女に溺れてばかりではだめだ(你不能沉迷于酒色)、政事を行い国家を管理すべきだ」と言った。
それを聞いた妲己は、「なぜあなたは大王と私の事に口出しをするのか」と言った。妲己はあることを思いつき紂王に言った。「もし比干があなたに忠誠心があるなら、心を捧げることができるのではないか」それに対し紂王は「確かにその通りだ」と言い、そのように命令を下した(下令)。比干は亡くなり(賜死)、胸を切り開き心を捧げた。これが「呂氏春秋」に記載されていることである。
比干が紂王を叱責する様子 (ドラマ動画リンク)
比干怒骂纣王是昏君,纣王一脚把美人踢下床,懵了_比干の賜死の様子(ドラマ動画リンク)
比干被挖了心还没死,竟帅气的走出大殿,众人脸色大变!_
孔子はこれを読み、もし紂王の心に穴があったなら(通一窍)、このような愚かで訳が分からないことをしなかっただろう(又愚蠢又模糊的事)。後世の人は、孔子のこの評論を成語にした。それが「一窍不通」である。
この事は、心の穴の有無は我々の知覚、意識(神志)と密接な関係があるということを説明している。
明代医学書から見る心(の穴)と智慧の関係
明代の著名な医者 利梴の著作 「医学入門」に下記の記載がある。
- 心にはいつくかの穴がある。
- 有七孔,有七窍...上智之人(知識がすぐれている人 レベル上)
- 有五孔,有五窍...中智之人(知識がすぐれている人 レベル中)
- 有三孔,有三窍...下智之人(知識がすぐれている人 レベル下)
- 有两孔,有两窍...常人 (普通の人)
- 有一窍..愚人(愚かな人)
- 有小一窍..下愚人(更に愚かな人)
実際、心臓に穴があったら生きられない。古人がいう心は実体としての心臓でないことを知るべきである。
金文から見る「心」字
「心」という文字の金文を見てみる。書き方は二つある。
①一つは、純象形。心房と心室がある。尖った円形である。莲蕊のようである。
②もう一方は、真ん中に点がある。この点が洞、窍(穴)である。
①が実体の心臓
②は「心思」に相当
心思 (xīnsi)考え、頭の働き、知恵
中医学の「心」、「心は君主之官」とは、この点のこと、つまりを心思の心を主体としている。
周から現代までの「心」字の用法と意味
金文とは周時代の青銅器上の文字である。例えば、鼎や盘がある。この伝統は周以来ずっと運用している。総じて、部首に心、坚心(りっしん)へんがあるものの多くは私たちの情感などの思惟を表している。
例えば、恐惧( 恐れる,おじける)の恐にも心が入って、惧にも入っている。慈祥の慈、忠心の忠、情感...中国伝統文化の中では古人がいう心は、ある種の情志(Emotion)を伴ったものである。
心の概念まとめ
西洋医学と中医学の心は完全に同等ものではない。単純な循環器官ではなく、それを基礎とし情感、情志、思惟も含まれている。
黄帝内経で「心は君主である」と言われる理由
黄帝内経の「心為君主之官(心は君主である)」とは、人体を朝廷や国家と見なし、心は君主(皇帝、首脳)であることを指している。
君主は国家を支配、左右する。つまり、心はその他の臓腑を支配、左右する存在である。
黄帝内経の「心為君主之官」を意味する句を見る。
心者,君主之官,神明出焉
~素問 霊蘭秘典論~
心者,五臓六腑之大主 是精神之所舍也 (大主: 主宰。精神を収める所)
~霊枢 邪客~
心者,生之本 神之変(生之本: 人体生命の根本)
~素問 六節蔵象論~
古人が心を君主と比喩した原因
①心居于人体五臓六腑的正中(心は五臓六腑の中心にある)
「説文解字」の中では「心者居于人身之中(心は体の中心にある)」とある。他の臓腑の解説にはこのような言葉は出てこない。(真ん中や中心などとの説明はない)
※「中」は中心の意味
現代「心」の含意を問うと「中心」「物事の核心」「要旨」などが挙がる。これらは新しい含意である。様々に変遷を経てきたが、これらの変遷は「心居于人体五脏六腑的正中(心は五臓六腑の中心にある)」と関係がある。
まさに「心は五臓六腑の中心にある」ことから、古人は非常に心臓を重視した。それ故、心を君主之官と呼んだ。
② 心主宰人的意识 思维 行为 情感 (心は意識、考え、行為、情感を支配(左右)する)
これは黄帝内経の原文にもあった「神明出焉」「精神之所舍也」のことであり、我々人体の神志活動(知覚と意識の活動)を指している。神志活動について、特に古人は非常に重要だと見ており、黄帝内経の中にも下記のような記載がある。
得神者昌 失神者亡 (得神の者は昌(勢)、失神の者は亡 )
~素問 移精変気論~
得神/有神とは:
顔がほんのり赤く潤いがあり、表情は自然、行動は自然でなめらか(流利)、受け答えもはっきりして、体に力もある。食事睡眠排便排尿とも正常、目はキラキラいきいきしている(目光炯炯有神 jiǒngjiǒng)。
失神とは:
一日の終わりの夜になると消沈し(萎靡不振)、体も力がない。顔もやつれて血色が悪く(萎黄)光沢がない。目に生気がない(目光呆滞)。食欲もなく、よく眠れない。このような状態を「神気が弱っている」とも言う。
ここでいう「神」は我々の生命活動の現象を指している。他に意識、思惟、行動、情感も神の概念である。
「心神」が全身を支配(主宰)している 、つまり「神」が考えたことが、我々の全身にどのように行動するかの指揮をしている。古人はこれをすごいことだと思い、次の言葉を残している。
主不明則十二官危
~素問 霊蘭秘典論~
意味:ここでの「主」は心を指す。もし「心」が何かの異常や危険を見つけたら十二の臓腑も異常が現れる。これが意味することは「心は全身を主宰(支配)する」である。
臨床でみる「心は君主」てんかんのケース
心の異常に関して、臨床で良くあるケースが てんかん(癫痫diānxián)である。
てんかんは西洋医学の観点では大脳の異常放電である。意識の一時的な喪失を起こす。四肢のけいれん(抽搐Chōuchù)、眼球の上転(双眼上吊)、異常な叫び声(叫唤声Jiàohuàn shēng)などが起こる。このようなことから羊痫风(yángxiánfēng)と呼ぶ人もいる。口から白い泡を吐く人もいる。失禁する場合もある。これは大発作の症状である。食事をしている時など、茶碗を落とす、箸を落とす場合もあり、これは意識の短い喪失である。
中医学ではこれらの状況は「痰迷心窍tán mí xīn qiào」であり、病因,病机(病態メカニズム?)は「心」に帰属すると考える。但し様々な症状は各臓腑で出現する。四肢のけいれんは筋肉の攣縮(痉挛jìngluán)である。「痉」は中医学では「肝」に帰属する。眼球の上転に関しては、「眼、目」も「肝」が主る。つまり「肝」に問題があると考える。叫び声に関して「声」は「肺」が主る。「肺」の問題である。失禁は「腎」の問題であり、口から白い泡がでるのは「脾」の問題である。
つまり「心」の器官に異常がでたら、他の臓腑が制御不能(失控)となることが分かる。それ故「心は君主之官」と呼ばれる。
これ以外にも、心神(精神)に異常があれば行為も変わる。心神は行為を主導する。
ケース紹介省略
成語で見る「心は身体を主宰」
心は行為だけでなく身体も主宰する。心と体や器官が密接な関係であることを示している成語を挙げる。
- 心直口快(性格が率直で思ったことをざっくばらんに言う)
- 心灵手巧 (賢くて手先が器用)
- 心慈面善(心が善良で面持ちも良い)
- 心明眼亮(理解でき目に曇りがない事態を正しく理解し是非を正確判断する)
- 十指连心(関係が密接である.深いつながりがある)
心が臓腑に影響している成語を挙げる。
- 心惊胆战(恐れおののく)
- 提心吊胆(びくびくどきどきする)
以上のことは全て「心は君主之官」、心が体や臓腑をコントロールしていることを示している。
事例:運転中の電話
ラジオ番組を聞いていたら、質問コーナーで「運転中に携帯で電話をしてはダメなのは知っているが、ブルートゥース(ヘッドセット)を使うので手はふさがらないので、話しても良いか」との質問があった。
回答は「電話はいけない。電話をしてはいけないのは、手がふさがるからではなく、気がそれるからだ(分心)。緊急事態が起こったときに、間違った判断をし、事故を起こす可能性が高くなる」
これも同じこと「心は君主之官」を説明している。
古人が考える健康とは「体と精神の調和」
古人は人体の健康は精神(中国語:心神)と密接な関係があると考えた。黄帝内経の中に、人が健康か否かのキーポイントは「形神相俱」であるかどうかだと挙げている。
「俱」 は調和を意味する。「体と精神が調和している」かが健康のポイントなる。現代で言えば「心身」が健康であることだ。
中医学はただの生物医学のではない。体や臓腑に問題があれば病気と呼び、問題がなければ病気と呼ばないということではない。心や精神に病があり「形神相俱(体と精神の調和)」が取れてない場合も病気(病変)である。
健康の基準とは
黄帝内経の中では明確に「形神相俱(体と精神の調和)」が健康の基準としている。
WHOも健康の定義を「心身の健康」としている。これは以前の生物医学モデルの健康から進歩した。
事例:のどの引っかかり
喉に異常がある患者がいた。何か喉に引っかかりがあり、何かあるような感じがするが、飲み込むことも吐き出すこともできない。西洋医学の病院で喉鏡、CT,MRI(核磁)などの検査をしても異常はない(没有长东西)。病気ではないとの判断となった。
その患者は我々ところへ来たが、中医学では神経症であり、心理と密接な関係があるとみる。実際には喉には何もないと判断するが、「痰气互結」との病名がつく。中医学ではこの「痰」は「無形の痰」と呼び、去痰薬か理気薬を使い治療する。効果はある。
ここで言いたいことは、心と体の関係である。体は問題ないかもしれないが、心に問題がある時、やはり不健康、健康でないとする。WHOの定義も道理にかなっている。
「心」は人体を主宰(支配、左右)する重要な位置にあるということも際立たせる。
具体的な健康基準「五快三良」
健康の基準は「形神相俱(体と精神の調和)」であるが、具体的な基準はなにか。
「五快三良」である。「五快」を簡単に言うと「吃 喝 拉撒 睡 説 走」である。
吃喝:飲食
拉撒:排泄(大便小便)
睡:睡眠
説:話をする
走:行動
これらが全て正常であれば健康(偏于一种健康的理念了)。
どれか一つでも問題があれば病気の状態であるか、少なくとも未病の状態である。
中医学の指す「三良」とは:
良好的个性:良い性格(良好な心理状態)
良好的為人的能力:礼儀ある人付き合いや世渡りができる
良好的社会適応能力:良好な社会的適応性
この「三良」は「形神相俱(体と精神の調和)」の「神」方面のこと、つまり心神(心、精神)の事である。
事例:良好な心理状態とは(ロバと老人)
老人と孫がロバを引いて歩いていた。老人がロバを引き、孫がロバの上に乗っていた。ある人が老人に言った「そんなに孫を溺愛して良いのか。」孫に対しても「老人に敬意を持っていない」と言った。老人と孫は「その通りだ」と言いい、老人がロバに乗り、孫がロバを引いた。
すぐに別の人が言った。「老人は孫を大事にしていない。間違っている」老人は「その通りだ」と言いい、老人と孫ともロバに乗った。
またすぐに別の人が言った。「ロバは家畜かもしれないが、生命がある動物だ。そのように扱ってはいけない」老人と孫は「その通りだ」と言いい、二人とも降りてロバを引きながら歩いた。またすぐに別の人が言った。「ロバは人を乗せたり(驮人)、荷物を引かせるものだ。乗りもしない、荷物も引いていない、二人とも頭がおかしいのでは?」
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このような状態は問題である。人に同調ばかりして自分の意見がないのはいけない(不能人云亦云)。全て人の言うことに従っている。人は良好な心理状態(精神状態)であるべきで、自分の意見を持つべきだ(主見)。
事例:社会的適応性とは(働かない若者)
ある青年にであったことがある。身長は180㎝程。睡眠は問題なく、人との交流も問題なく、質問に対してもちゃんと回答する。食事、排便も問題ない。ただ問題が一つある。仕事をしないのだ。
理由を聞いてみると一緒にいる仲間(跟我为伍的)、つまり同僚のレベルが低いというのだ。彼らと一緒に働くことは出来ないと言う。家の者が仕事を探し、新しい仕事を始めたが2か月も経たずに辞めた。わけを尋ねると同じ理由だった。なんども転職を繰り返し色々あったが(周折)最終的には仕事に行かなくなった。そして家で過ごしている。180㎝の青年がまるっきり仕事をしない。これは正常だろうか。正常だとはとても言うことはできない。
黄帝内経の中では「人は正常に考えるべきである」とある。「形神相俱(体と精神の調和)」を説いている。「形神相俱」のうちだれが君主か。「心が君主」である。これは非常に重要なことである。この点を特に注意しておく必要がある。
心のおさらい(重要点)
二点の重要な点をおさらいする。
1、心の位置はその他の臓腑の中心にある。そしてその他の臓腑を主宰する。
2、「心主神(心は精神をつかさどる)」「心神は全身を主宰する」よって心は君主である。
では、健康について、養生についてどのようにすべきか?
「心身兼養」に注意し、特に精神面(神志)の養生を注意すべきである。
西洋医学の観点では、心は循環器官の主宰である。血液を全身に循環させるのは心に頼っている。心臓がずっと動いているからこそ全身を主宰する。心が動かなくなったら人は亡くなる。
突発疾病について平常問題なく過ごしていても。突然心筋梗塞になれば亡くなる。つなり心臓は動かなくなる。「心」は「火」に属する。命の炎が消えるということだ。(火苗衰了)
心の養生の方法(内関のツボ)
内関穴という ツボがある。心臓によく、精神の安定にも良い(稳定心神)。
ツボの位置
手首の線から指2つ分肘側にあり、手首(腕)の二つ筋の間にある。拇长肌腱と桡侧腕屈肌腱の間ににあるツボである。このツボを揉み押すと(揉按)心臓に良い。不眠、イライラして怒りやすい、気分が損なわれている(心里头不舒服了)そわそわしている(心慌)などにも良い。
押し方
親指で揉み押す。時計回り、逆時計回りどちらでも良い。毎回50回ほど。
人によっては、胸闷,气短(息が続かない、息がせわしい)、憋气(息苦しい、息が詰まる)、胸の痛みなどもこのツボを揉み押すと良い。
また場合によっては、背中の不快、腹部の不快は背中や腹部の病ではなく、心臓と密接な関係があることもある。このようなケースも内関のツボを揉み押すと良い。
事例:内関のツボに針を刺し実験(動物?)
- 心筋虚血の心筋に対しての効果(心肌缺血下的心肌存活)
- 心筋への血液供給(心肌的供血)